明治初期の英語教師
中村正直は明治6年に東京小石川に同人社を開き、英学を教えました。
やがて明治8年、彼の努力によってお茶の水に女子師範が開校し、彼はその校長となりました。
彼が毎週1回やった講話はスマイルスの自助論を材料としたものでした。
彼の「文章軌範」の講義は、字句の末にとらわれず、精神をつかんだ生き生きとした講義ぶりで、その面白さは教え子たちにとって終生忘れえぬものであったといいます。
明治初期の英語教師は、みな漢学の素養がありましたから、中村正直のような漢学者タイプが多かったであろうと思われます。
当時の訳読も返り点送り仮名の漢文式で、「ところのそれは」というふうに訳したものでした。
発音は変則が多く、おかしな発音もあったかもしれませんが、文章の解釈や作文力はすぐれたものであったでしょう。
英語教師夏目金之助も、漢学の土台なくしては考えられません。
福沢諭吉は若くして大坂の緒方塾でオランダ語を学びました。
彼は江戸に蘭学塾を開きますが、時勢の推移をいちはやく見て、英学に転向しました。
彼の教授法は蘭学塾の伝統を継ぐものでした。
それは会読法というもので、生徒が正しく解釈すれば白点、まちがえば黒点がつけられます。
それはいま流行っている石川遼 英語での勉強法とはまた違ったものでした。
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